還暦はこころの20歳。

小田急線沿線にある、旧白洲邸武相荘(ぶあいそう)に行っ てきた。

その日本のジェントルマンは、ジェームスディーン(アメリカの伝説の俳優)のような端正な顔立ちをしたカッコいい男
だった。

白洲次郎(しらすじろう)。

昭和初期の動乱期、太平洋戦争の敗戦でなにもかも自信をなくしていた日本を救った男。
戦後に急成長して復活した日本の姿は、白洲次郎の存在を語らなくてはなりたたない。

当時の盟友吉田茂首相とともに、アメリカに日本の言い分を貫きとおした男。GHQとの折衝、日本国憲法改正、通商産業省創設、サンフランシスコ講和条約受諾の場などに立ち合い、日本再生にチカラを注ぎ、そして見返りを求めなかった男。
その白洲次郎が妻、正子と子どもたちとともに、太平洋戦争が激しくなるとともに移り住んだ藁ぶき屋根の旧白洲邸が、小
田急線の鶴川駅近くに現存している。
邸宅の名前は武蔵と相模の境にあるので、一捻りして武相荘(無愛想)と白洲次郎は命名している。

秋雨が細糸のように降りしきるなか、僕は旧白洲邸武相荘を訪れた。
門をくぐると、右手に白洲次郎と妻、正子、子どもたちが暮らした味わい深い藁ぶき屋根の邸宅が現れた。
その手前には夫妻が陶芸に凝ったり、趣味の工作室として使っていたスペースが、いまでは武相荘のレストランになって落ち着いた佇まいを見せている。
邸宅に入ると、シンプルでありながら厳かなインテリアに、目を奪われる。

「葬式無用、戒名不用」で有名な白洲次郎の遺言書も展示されていた。
奥へすすむと、伯爵家のお嬢さんであり、エッセイストでも有名になった妻、正子の書斎があり、いまでも毎日執筆をしているようなリアルな感情が僕に溢れた。邸宅の優美な空間を楽しんだあと、レストランの建物に向かう。
レストランの奥は白洲家が食事をした部屋に続いていた。

建物の外にでると秋雨がさきほどより激しくなっていた。白洲次郎のその偉大な行動力に敬意をはらう気持ちで、一瞬ではあるがささやかに黙祷をささげた。

救うという行為。例えば、人を救うという行為。僕にはできるだろうか。
人はひとりでは生きていけない悲しい動物です。

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